ここ最近、基礎力について考えていた。

「私は絵本の基礎があるから、基礎クラスには

入らずに実践のクラスから入りたいです」という

問い合わせが何件か続いたから。

作品を読んだわけではないので、基礎があるのかもしれない。

でも、ないかもしれない。

なので基礎クラスで勉強をしていないのに実践クラスから

入会することは許可できなかった。

はたして、基礎があるなしってのは、何をもって判断しているのか?

どこかで創作の勉強をしていたわけでもさそうだし????

「絵本をつくったことがあるから、基礎力があります」というのは

勘違いだと思う。

基礎がなくても物語はつくれるし創作はできますよ。

絵本だって書ける。

でもね、基礎のない作品って、

読んでいても心に響かないんですよね。

独りよがりな物語になっている事を本人も理解していないという

一番やっかいなパターン。

絵を勉強していたから絵本の基礎があります

というのも勘違いではないだろうか?

絵本の基礎って、絵が描けるとか

物語がつくれるってことではなく、

深く絵本を理解し、子どもが絵本を

なぜ読むのか・なぜ楽しむのかを理解するところにあると思うんです。

それをちゃんと理解して創作している人の作品と

なんとなく表面的に絵本を作っている人の作品は、

読んだだけで違いがわかる。

「絵が描けるから絵本創作ができる」ということは、

私にしたら

「習字の勉強をしていたから童話を書けます」

と考えているのと同じように思える。

児童書に対する冒涜とも言えるかな。正しくは、作家に対する冒涜か。

児童文学や絵本の著者は、いろいろ考えて努力して

創作しているんだから、それを否定されちゃ困る。

「絵が描けるから絵本創作ができる」と思っている人の心の奥底に

「絵本だから簡単に書ける」

「子どもむけの作品だから簡単に書ける」

という安易な気持ちはないだろうか?

絵本だから童話だから簡単に書けるという発想は嫌なんですよ。

それは、その人が絵本や児童書を

文学や創作作品としてちゃんとみていないことの裏返しだから。

子どもの作品だから、真摯に取り組んで欲しいし、
正面きって、基礎から学ぶ必要がある。

絵本や児童書を文学作品や絵画作品と同じレベルに高めたいと
努力してきた先人の思いを、今つくり始めている人が
無にしてはならないと思う。

本人が理解しなければ、作品もかわりようがないから

しかたない話ですけれどね。

絵本をつくる工程を知るのではなく、

絵本を深く理解し、物語創作の神髄を理解するための

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